SCANATE ― 座標だけ渡された「ヴューアー」
1970年、CIAがある研究プログラムに資金を入れ始めた。コードネーム SCANATE(Scan by Coordinate)。対象を名前でも写真でもなく、地図上の緯度経度だけで被験者に与え、「そこに何があるかを描写しろ」と命じるプログラムだ。
きっかけはソ連だった。1969年から1971年にかけて、米情報機関はソ連が『サイコトロニクス』研究に本腰を入れているとの報告を複数得ていた。東側が本気なら、西側も手を打たなければならない ― それだけの理屈だ。
1972年、カリフォルニア州メンローパークのSRIインターナショナルで、物理学者ハロルド・パソフと電気工学者ラッセル・ターグが研究を開始した。加わったのが、超心理学界ですでに名の知られていた画家 インゴ・スワン。彼は前年の1971年12月、ニューヨーク心霊研究協会の実験中に「リモート・ビューイング(遠隔透視)」という言葉を初めて口にしている。
フォート・ミードの部屋
1978年、米陸軍情報保安軍(INSCOM)はメリーランド州フォート・ミードに小さなユニットを設置した。コードネームは時代と管轄で変わり続ける。GRILL FLAME(1978)、CENTER LANE(1983)、SUN STREAK(1985)、そして1991年、DIA管轄下ですべてが統合され STAR GATE と呼ばれるようになった。
この部屋で何が行われたか。事実はこうだ。
- 被験者に対象の情報を一切与えない
- 渡されるのは座標、または封筒に入ったランダムな番号だけ
- 被験者は机の前に座り、見えたものを絵とメモにする
- 立ち会いの監督官が時間と手順を記録する
対象はソ連の軍事施設、失踪した人質、墜落した航空機、麻薬カルテルの倉庫 ― 通常の情報手段では届かない、あるいは届きにくい場所だ。
ヴューアー#001と、ソ連のクレーン
ジョセフ・マクモネイグルは、陸軍の現役軍人としてこの計画に参加した初期メンバーのひとりだ。「ヴューアー#001」の番号を割り当てられた彼は、150件の情報収集任務を担当し、陸軍功労章(Legion of Merit)を受章して1984年に退役している。
もうひとり語らねばならないのが、元警察官の パット・プライス。彼の報告のうち最も引用されるのが、カザフSSR・セミパラチンスクにあるソ連核実験場の描写だ。プライスは、衛星写真には明確には映っていない巨大なガントリークレーンの存在をスケッチした ― とされる。
ここで注意が必要だ。これは「当たった」例として語られる代表的なエピソードだが、プライスのスケッチにはクレーン以外にも多数の描写が含まれており、「当たった部分だけを後から選んで評価している」とする反論もある。公式見解は『運用可能なインテリジェンスの基礎としては、一度も使われなかった』。
1995年、幕は下りた
1995年、CIAは外部機関 アメリカン・インスティテュート・フォー・リサーチ(AIR) に計画全体の評価を発注した。報告書の執筆者はマンフォード、ローズ、ゴスリン。評価委員には統計学者ジェシカ・ウッツと、懐疑論者の心理学者レイ・ハイマン。この2人は『対立する2つの見解』の代弁者として意図的に組ませられた。
ウッツは「統計的には偶然を超える有意差がある」と主張した。ハイマンは「有意差があったとしても、それを超能力と結びつける実験設計になっていない」と反論した。
1995年11月28日、報告書は公開された。結論はこうだ。
> リモート・ビューイングは、行動に移せるだけの価値を持つインテリジェンスを一度も提供しなかった。多量の無関係で誤った情報が生成され、ヴューアー間で一致する所見もほとんど見られない。
総経費、およそ 2000万ドル。期間、20年以上。計画はその年のうちに終了した。
記録は、公開されている
ここが本題だ。スターゲイト計画のファイルは、今もCIAのリーディング・ルーム(公式FOIA電子閲覧室)で誰でも読める。セッションログ、被験者の手書きスケッチ、ランダム・ナンバーの割り当て表、監督官の所見 ― 数万ページがPDFで開示されている。
公式見解は「運用価値はなかった」。だが20年にわたり、2000万ドルを投じ、軍の勲章まで出し、最後は外部評価まで依頼した。使えなかったものに、ここまで予算がつくか? 冷戦下で、ソ連の『サイコトロニクス』への対抗策として保険で走らせた、と見る研究者もいる。
想像してみろ。 封筒の中の番号だけを渡され、フォート・ミードの静かな部屋で鉛筆を動かしていた男たちの姿を。その絵の一部は、偵察衛星の画像と一致した ― と、記録には残っている。
判断は任せる。ファイルは、あんたの手元にある。