1900年12月、フランネン諸島の灯台
事実から並べる。
スコットランド、アウター・ヘブリディーズ諸島の西方およそ32km。大西洋に七つの無人島が点在する。総称をフランネン諸島という。最大の島が エイリアン・モア(Eilean Mor) ──ゲール語で「大きな島」を意味する。
そこに北部灯台委員会(Northern Lighthouse Board、以下NLB)が灯台を建てた。1899年12月7日、点灯開始。設計はデイヴィッド・アラン・スティーヴンソン──作家R.L.スティーヴンソンの従兄弟で、スコットランド灯台建築の名門スティーヴンソン家の末裔だ。
灯台は4人交代制で運用された(うち3人が島に常駐、1人が本土待機)。1900年12月、島にいたのは次の3人だ。
- ジェイムズ・デュキャット(James Ducat)、主任灯台守。43歳。妻と4人の子供を本土に残していた。
- トマス・マーシャル(Thomas Marshall)、二等補助灯台守。28歳。
- ドナルド・マッカーサー(Donald McArthur)、臨時補助灯台守(the Occasional)。病気の正規灯台守の代役として、島に渡っていた。
12月15日。蒸気船アーチター号(Archtor)が、ペンシルベニア州フィラデルフィアからリースへ向かう途上、フランネン諸島の海域を通過した。航海日誌に「灯台の光が点いていない」と記録した。悪天候だった。
報告がリースに届いたのが12月18日。NLBに上がった。救援船ヘスペラス号(Hesperus)は12月20日に出航予定だったが、時化で延期。船が島に到着したのは12月26日正午──最初の異常から11日後だ。
入口は閉まっていた
ジョセフ・ムーアが、ひとりで岸に降ろされた。代役を立てて本土にいた、当の本人である。
事実関係はこうだ。
- 敷地入口のゲート、閉。
- 灯台のメインドア、閉。
- ベッド、整えられていない。
- 時計、止まっていた。ねじが巻かれていない。
- ランプ、清掃済み・燃料補給済み。当夜は点灯予定だった。
- 雨具(オイルスキン)3着のうち、1着が壁に残されていた。
3人とも、いない。建物内、屋外、崖の上、岩場──どこにも。
午後、Hesperus 号の Captain Harvie が NLB に電報を打った。
> A dreadful accident has happened at the Flannans. The three keepers, Ducat, Marshall and the Occasional have disappeared from the Island.
意訳すれば──「フランネン諸島で重大な事故。3人の灯台守、デュキャット、マーシャル、臨時、が島から消えた」。
ロバート・ミュアヘッドの調査
12月29日、NLB 監督官ロバート・ミュアヘッド(Robert Muirhead)が島に到着した。3人を採用した本人である。彼は仕事で関わっただけでなく、3人を個人的に知っていた。
調査結果はほぼ次の通りだ。
- 西側上陸場(West Landing)で 明確な破壊を確認。岩盤の高い位置にあるロープボックスが破壊され、内部のロープが散乱していた。鉄製の手すりが曲げられ、波除のレールが引きちぎられていた。
- 残されたオイルスキンの1着は、マッカーサーのものだった。
- ログブック(日誌)の最終記入は12月15日朝、デュキャットの筆記による。
ミュアヘッドの結論は、概ねこうだ。
> デュキャットとマーシャルが装備を固定するため西側上陸場に降りた。マッカーサーは雨具をまとう間もなく後を追って屋外に出た。三名はそのとき、岩を駆け上がって落ちてきた異常に大きな波(an extra large sea)に攫われたものと推察される。
124年経った今も、これがNLBの公式見解のままだ。
罰金、5シリング
なぜ嵐の中、3人もが西側上陸場に向かったのか。理由が近年の調査で浮上している。
研究者ジェームズ・ラブ(James Love)が NLB のアーカイブを精査して見つけた記録がある。
マーシャルは過去、装備を波で流され、5シリングの罰金を科されていた。
5シリングは当時の灯台守の給料の数日分にあたる。罰金を避けるためには、装備が再び流される前に固定するしかない。だから嵐の予兆を見て、彼は西側上陸場に駆け降りた。デュキャットは主任として同行した。マッカーサーは、屋外で何かが起きたことを察し、雨具をまとう余裕もなく追いかけた。
そして3人とも、戻らなかった。
シナリオとして筋は通る。だが──残された雨具、止まった時計、閉まったメインドア。これらが「嵐に攫われた」というシンプルな結論に、不自然な余韻を残す。屋内の最終整理がついていながら、屋外で全員が消えた、という分布が、説明されきっていない。
詩人が書き加えた虚構
事件を「永遠の謎」に変えたのは、12年後の詩だった。
1912年、英国の詩人ウィルフリッド・ウィルソン・ギブソン(Wilfrid Wilson Gibson)が "Ballad and Other Poems" を出版した。収録された一篇が "Flannan Isle"──フランネン諸島の灯台守失踪事件を題材にしたバラッドだ。
詩のなかでは、こう描写される。
- 食卓に、手付かずの食事が並んでいた。
- 椅子が一脚、倒れていた。
- 部屋に3羽の奇妙な鳥が飛び込んできて、消えた。
この情景は 事実ではない。当時のNLB報告書、ムーアの手記、Captain Harvie の電報──いずれの一次記録にも、このような描写は存在しない。詩人の創作だ。
だが詩は売れた。「未消化の食事と倒れた椅子」のイメージが広まった。1977年、英BBC『Doctor Who』の「ホラー・オブ・ファング・ロック」エピソードに引用されて、フィクション側で完全に固定化した。
事件の不気味さは、事件そのものよりも、詩によって増幅された。120年経った今、検索すれば「未消化の食事」が事実のように出てくる。出典は詩であって、報告書ではない。
五つの仮説と、消えない不在
公式の「巨大波」説の他に、以下の仮説が並んでいる。
1. シー・サーペント説 ── 当時の地元紙にも掲載された。海蛇が3人を呑み込んだ。
2. 逃亡説 ── 3人が密かに船を手配し、新たな身分で別の場所に移住した。動機の説明はない。
3. 外国スパイ誘拐説 ── 1900年は英露の緊張期。フランネン諸島は地理的にロシア海軍の監視対象になりにくいが、「外国勢力に拉致された」とする記事は一定数残っている。
4. マッカーサー殺人説 ── マッカーサーは粗暴な性格だった、とする伝聞があり、口論からの殺害・自殺と見る説。3人が崖から落ちただけ、という派生もある。
5. 超常現象説 ── 幽霊船、異界、消滅。詩が作ったイメージの延長線上だ。
合理的な評価では、1の巨大波説が圧倒的に確率が高い。それは前提として置いておく。だが、残された物証──未着用のオイルスキン、止まった時計、閉まったドア──のすべてを単一の仮説で説明できているかと言えば、できていない。
未解決事件のレジストリには、こうした「現場が残された不在」の系譜がある。1872年メアリー・セレスト号、1959年ディアトロフ峠、そして1900年エイリアン・モア。理由は違っても、人だけが消える、という形は繰り返されている。
124年後にも、灯台はある
エイリアン・モア島の灯台は、現在も稼働している。1971年9月以降、無人化(自動化)された。今は誰も常駐していない。波と風と海鳥だけが、岩を覆う。
NLB のサイトには、フランネン諸島灯台の歴史ページがある。1900年12月の事件は、簡潔に1段落でまとめられている。それ以上のことは、書かれていない。
事実として残るのは、これだけだ。
- 3人が消えた。
- 西側上陸場の装備が破壊されていた。
- 雨具1着が、壁に残されていた。
- 124年、誰の遺体も見つかっていない。
詩は、事実を歪めた。だが事実だけでは、説明しきれない不在もある。それも、含めて。
判断は任せる。船は冬になると、今でも、ヘブリディーズ諸島の沖を通る。

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